以下、全体的に『エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』のネタバレでしかありません
『エブエブ』観ましたか?
話題作『エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』を鑑賞してきました
面白かった
カッコいい呪文とかじゃなくて”酔狂なことをすると異世界のスキルが使える”と言う設定が輝くユニークなアクションシーンが惜しみなく繰り広げられて満足度が高い映画でした
「戦闘中に一刻も早く己のケツに棒状のものをブチ込もうとする敵」とかもはやある種の凄みがありますよ。あんなん笑うわ。
そんなにアクション映画好きじゃない私としては、普通の素早くてシリアスな戦闘シーンよりも楽しめました
感想はそんなところですかね
映画館を出た勢いのままに考察というか好き勝手想像した解釈を披瀝していこうと思います
製作者がそこまで考えているかどうかもちろんなーんの確証も保証もございませんので、眉にツバをつけて話半分でお楽しみいただければ幸いです
鑑賞する前も後も何も調べてないどころかパンフレット買ってさえいない
なお鑑賞済みの方が読むことを想定しているので、あらすじ等は割愛させていただきます
はじめに
開始時点の(鏡に映ったカラオケを楽しんでいるワン一家が同一かはさておき)税務処理に追い詰められているコインランドリー経営者のエヴリンがいた世界を『開始世界』
アルファ世界は『アルファ世界』
序盤にやぶれかぶれのエヴリンが飛んだ“税務署でアルファレイモンドがセキュリティをボコボコにしなかった世界=映画終了時の世界”を『近隣世界』
と呼称した上で、それぞれの世界での登場人物も呼び分けていきます
単に「エヴリン」等と読んだ場合は、全ての世界のエヴリンを指します
それと、途方もない数存在するとされるマルチバースについて、不可思議とか無量大数とかいちいち言っても面倒なばかりか遠く及ばないので、便宜上『1無数回』とか言います
全体のテーマについて
ストーリーの根幹は『ファウスト』『100万回死んだねこ』あたりと共通したもので、『ドクター・ストレンジ』みもありますね
類似した状況設定と展開も(他作品のネタバレとなるので具体例は避けますが)そこまで珍しくないのかな
永劫回帰というアイデアを取り入れた上で実存的な“ここ”にある私に立ち返り、まさにこの人生を謳歌すべきことを旅の終わりに知る物語
つまり
無限ループって死よりも怖くね?
という、現代においては割と王道の発想から始まります
仏教が“悟りを開く”とか“解脱する”ことを目標としたのも、「死んでも死んでも終わらずに次の苦痛に満ちた生存が始まる」という“輪廻転生”がイヤさにそれを抜け出して完全に無になりたいという目論見ありきなので
まぁとにかく人生エンジョイ勢には理解しにくいかもしれませんが結構昔から「苦痛に満ちた世界が永久に終わらない方が死ぬよりキツいだろう」という壮大な空想があるんですね
バカデカスケールの哲学的な考えであると同時に、卑近な現象である『希死念慮』…自殺と同じ考え方です
こんな毎日が1日でも長く続くくらいなら、死んで消えたい
まとめると、
希死念慮に陥り自殺しようとしたジョイがワンチャン選んで掴み取った話
とでもいうのが適当でしょうか
次元リープの制限
「並行世界の自分に移れる」といっても、アルファ世界のアルファエヴリンが開発した技術に依拠した能力である限りは「世界」にも「自分」にも制約がありました。
(後述しますが厳密にはジョイとエヴリンはその制限すらも物語が終盤に差し掛かるあたりで超越しています)
アルファ世界の技術による次元遷移には、『自己同一性』と『共時的世界への遷移』と言うカセがありました
自己同一性
あらゆる世界あらゆる職能の「自分」に遷移したりスキルを借用することができる、ってのはまぁいいんですが、”自分と言い得る範囲”ってなんでしょう
クライマックスのシーンあたりでジョイが「もっと良い娘のジョイがいる世界もあるのに」と言いますが、まさに無数の世界の中には「聖人君子のジョイ」も「サイコパスのジョイ」も可能であったはずです
なんなら映画スターになっていた世界ではジョイは生まれていませんし、アルファ世界のアルファエヴリンはすでに死亡しています
行き来できるのはあくまで”同じ家系図上の自分”が存在する世界に限るであろうことは確かです
加えて作中の描写に従えば、アルファ世界の『マルチバース遷移技術』は自己の同一性を容姿に依存していると見て取れます
どれだけファンタジックでレディーガガみたいな装いをしていても、常にジョイは母親に苦言を呈された体型で登場します
しかしこのことについては「役者の同一生の問題では?」と言う視点と、もう一つの見方を提示するためにあとで戻ってきて言及させてもらいますので、ちょっと置いておいてください
共時的/通時的って?
マルチバース…並行世界への移動は「共時的」なものに限られます
雑に言うと空間的か時間的かと言うことです
「共時的な民族のバリエーション」とか言った場合、
”共”通した、同じ時間の中でのバリエーションを指します
今でいう「2023年時点で日本とかアメリカとか中国とかオーストラリアとかあるね」って話になります
「通時的な民族のバリエーション」とか言った場合、
今まで経た世界を”通”じた中でのバリエーションを指します
日本でいう「日本の東京のあたりにも今はみんな洋服してスマホ持ってるけど全員マゲ結ってる民族だった頃とか狩猟採集してる民族だった頃とかあったね」って話になります
専門家でもないヤツの浅知恵適当解説ですが、だいたいこんな感じです
何が言いたいかってあくまでも、同じ時間の別世界に行けるけど過去ー未来の軸を移動すること(タイムリープ)は不可能だよということですね
先ほど自己同一性の項で容姿の一致について申し上げましたが、「別世界の若い頃の自分」とかにはなれない
あらゆる世界のワン家
少し話題は脇道に逸れますが、各世界のエヴリン・レイモンド・ジョイの辿った道筋について少しおさらいしておきます
まず主人公についてですが、これは開始世界の開始エヴリンです
アルファレイモンド曰く”全てをあきらめた最底辺のエヴリン”
でも夫の開始レイモンドと娘の開始ジョイと共に生活しています
次に、アルファ世界
開始エヴリンの元へやってきて、世界を救うように要請してきたアルファレイモンドの生まれ世界であり、マルチバースに散らばったジョイのオリジナルもアルファジョイです
アルファエヴリンは物語開始時点で死亡しています
そして、窮地に陥った開始エヴリンが偶然飛ばすことができた直近の別世界である近隣世界ですが……
人格等においては開始世界の登場人物たちと概ね変わりません
ジョイとエヴリンの人格はマルチバースに飛散した瞬間から共時的に同一ではあるんですが、一応物語終了時点での家族構成は以下のようになります
(開始)エヴリン・近隣レイモンド・(アルファ)ジョイ
自己の飛散、そして超越
物語の中盤までは上記のような制約、つまり自己の同一性や共時性の中でマルチバースを遷移していたんですが、そのタガも外れます
そう、”石”ですよね……
つるりとした石であると言う個性はなくもないですが、「娘を産んだ母石」とか「数十年年の差がある石」「女の石」なんて概念は少なくとも近代世界には馴染みませんし、第一ジョイ自らそもそも生物が生まれなかった世界(=人間ですならない)と言っています
ピニャータとか幼児の落書きにもなっていた
このような極端なマルチバース遷移に自己同一性と通時的移動に制限があるようには見受けられません
そこで以下、ちょっと飛躍した考察となりますが、
精神への負荷により飛散しアルファ世界を凌ぐ技術レベルを持つ可能世界(偉大な発明を経験した世界)にアクセスしたジョイはシンギュラリティを迎え、”ジョイ”であることさえ超越して普遍的視座を得ます
そして、ジョイに導かれたエヴリンも同様に自己を超越しています
可能な全てのマルチバースの、全てのものへ
アルファ世界のスマホ型デバイスで補足できる範囲(と言っても膨大だったんですが)の極めて限定的な世界遷移だったものが、真に時空を縦横無尽に渡れるようになる
と言うことが起きました
レイモンドが闇落ちする世界も1無数回あったことでしょうし、エヴリンがジョイをネグレクトしたり、1無数回殺し殺され、逆にジョイも言っていたようにジョイがめちゃくちゃ素直で良い子だったこともあるし、一家で力を合わせて困難を乗り越えたり、それぞれの家族がそれぞれの家族を1無数パターンくらい命と引き換えに守ったりもしたでしょう
男だったり女だったりどっちでもなかったり。しっかりしてたりアホだったり。
つまりジョイもエヴリンも超越的視点を経験した後の一連のクライマックスシーン(駐車場⇄階段上)は、可能な全ての母娘喧嘩……というか1無数パターンの葛藤と和解の全てが重ね合わされていたんじゃないかと思います
さらに極端に壮大な結論
その果てで、エヴリンとジョイは原初の二項対立…そもそも何もないままの言わば「nullバース」ではなくて”何かが存在する”「マルチバース」を選択した一番最初の分岐にまでなったんじゃないでしょうか
普遍的な全てのジョイが自殺すると言うことは、初めからの何もかも全てが宇宙ごと存在しなくなると言うことだったかもしれません
ジョイの行動原理
ジョイの行動原理は割と私たちが客観的に見る分にはわかりやすく描かれていました
まさしくティーンエイジャーらしい虚無主義に陥り、生活に辟易するという観客に共感可能なものです
しかし上記のような極端に超越的な考察を踏まえると、いくらアルファジョイが少女だったからと言ったって、そんなことで今更こんな騒動起こしてTHE反抗期するか??と疑問が湧きます
そもそもウンザリする永劫回帰の最中で縋りついた母親エヴリンが「開始エヴリン」だったのはなぜでしょうか
ジョイとエヴリンの選択
私にはある程度エヴリンとジョイによる合意が根底にあるようにも見受けられました
つまり開始エヴリンが超越的視座を獲得する前に直面するどの世界の家族もその面影を逸脱していなかったことも、あくまで『開始世界』『近隣世界』『アルファ世界』において共通している家族の形がエヴリンにとって思い入れを持って順守されるために舞台となっていたのではないかと思います
映画スター世界や、あるいはそもそもレイモンドと出会うことさえなかった世界は度外視されています
開始エヴリンとアルファジョイだった者同士が、最も美しく母と娘としての実存を続行できるルートを共同で(しかしあくまで本気で)編纂したのではないでしょうか
この世界この時代に公開される映画の登場人物として演じる筋書きにおいて
メタい話
作中遷移するマルチバース描写内で、上述のピニャータ等明らかにフィクショナルに被造されたエヴリンとジョイが登場していますし、なんなら”劇中劇オチ”も一回やっています
「……と言う傑作映画内の人物として消費される私たちの世界ってのはどうでしょう」って、超普遍母娘がこっちを見て笑っている……
とかね。そう解釈しちゃえばもはや粗探しの余地もないんじゃないでしょうか……?
余談ですが筆者は「SCPという超常存在に脅かされている世界観共有フィクションで『SCPが存在しない世界』と言うSCPが登場する」(該当記事)とか、ポケモン映画作中の悪夢が『ポケモンが存在しない世界』だったりとかのちょっとソワソワする要素が好きです
あとデッドプール
(追記)現実的で妥当な考察
地に足がついてて妥当な解釈はこんな感じかな、という見方をこの記事には書いていなかったので追記します。
それは「冒頭の家族団欒カラオケシーンが近隣世界の情景だった」と断定した上での解釈です
実ははじめから開始世界よりも家族仲が良い近隣世界というビジョンが提示されているという演出によって、開始世界で人格を形成した開始エヴリンが最後に近隣世界を主軸に残りの人生を経験していくことを選んだという事実が味わい深いものになります
恣意的にちょっとイイ世界に乗り換えてるじゃん……
(もしかしたら主軸…メインのエヴリンという考え方自体がナンセンスで、今や全ての可能世界上のエヴリンは均一に存在し、経験しているのかもしれませんが)
オマケ
この映画のメタっぽい感じがお好きでしたら『銀河ヒッチハイクガイド』(小説・映画)『ファイアボール』(ディズニージャパン制作のアニメ)は楽しんでいただけるかと
あと『ニナ』っていう曲も、壮大と身近がひょうきんに接続されてて良いですよ。普通に好きな曲を紹介している。
話のスケールが壮大すぎて宇宙猫みたいな顔になっちゃった人はこれをぜひ
以上レコメンドコーナーでした。
ほんとに好き勝手勢いで書きましたので、明日以降自分で読み返して意味がわからなかったりしたら加筆修正するかと思います
宇宙とか世界とかに思いを馳せたら、そこそこで切り上げて、一番好きな人と茶でもしばくと良いですよ
では私はこの辺で。またお会いしましょう
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