哲学論的なものです
とりあえず自分の考えをまとめる用のやつです
今までの哲学とか文化人類学とか民俗学とか心理学とか経済学とか政治学とか総動員してさァ!!!もっとどんな社会が人間にとってサイコーなのか具体的に思い描いていかねえ?!?!?!?!!って言ってます
今後別の媒体で、もっと他人様に理解してもらう気概モリモリな形で公開したいと思ってはいるので、以下の文章はとにかく自分にとってわかり良いように書かれています
あゝ意義深き哲学探究
〈セルフ要約〉 哲学が好きなので、哲学は人類をイイ感じの方向に導くという意義があると思う。哲学者にそのつもりがあるかどうかは知らないけど。
哲学は、よりもっともらしい「当座の措定」を更新し続ける営みである
未来がある以上可謬であることは、過去の探究を振り返れば明白で
それでは当座の措定を導き出す探究とは、なんのためのなにであるかと言えば、それは「判断」のための「分析」であり、その探究が方向をその都度修正して目指しているのは善や幸福や平等などと呼ばれる「理想的社会」ではないか
そのやり方はドクサを取り除いて方針の正確さ純粋さを研ぎ澄ませることであったり、望ましい世界そのものを考察することであったりする
存在や言語のあり様を暴く営みも、幸福への方向づけに寄与すべくして行われる
より客観的にして正確で、広く見渡せる視座こそ美を指示するコンパスのパーツとして相応しい
時間の経過は押しとどめることができない
アクセルは踏みっぱなしで固定されている
私たちはややもすれば曇り、汚れがちなフロントガラスを必死に拭いて、不定の幸福を指し示すコンパスを睨みながら権力者が握るハンドルに心を砕いている
哲学はいつの時代も面と向かって火急の事態を相手にしていた
理想論
〈セルフ要約〉 原理だの真理だの未来についてあれこれ結論づけようとしても、翌日には何もかもひっくり返るような発見がなされて全部間違いになるかもしれない それでもみんな頑張って考えたんだから、それぞれの学知を総動員して具体的なユートピアを構想してみてはどうかしら
可謬な当座の措定が当座のものであることを逃れられないのはなぜか
それは、多少の過去と現在の人類の認識による擦り合わせが導いた結論だからである
当たり前だけど、そこに古代や未来の人類の価値観は加味され得ない
つまり20世紀の我々が完璧に幸福であると見做す世界がX世紀に実現されると仮定しても、X世紀を生きる人々にとってはその世界が理想とは程遠いものになる懸念がある
「X世紀に、X世紀の人類が何を幸福としているか」を予測する必要があるのではないか
ユートピアに住まう未来人類の性質が、聖人君子観にみられる人物像に収斂されるとは限らない
いつの時代もユートピア像に見られる平等や平和や充足は、当時の人々の幸福感の擦り合わせから成っている
それらは根源的なものもあれば、限られた時期文化圏に特有のものもあるだろう
それでも当座の措定としての原理や真理を問う哲学と並んで、過去・普遍志向のものではなくより未来志向の「当座の理想」を打ち立て、そしてこちらもその都度更新させて行くべきではないか
真の幸福を問うと共に、それが過不足なく行き渡った社会像が必要なのである
核戦争後のポストアポカリプス世界は想像に容易いが、まだ見ぬ究極に安定な世界の青写真も具体的に描いてみるべきではないかと思う
真っ先に想定される問題
〈セルフ要約〉 どう足掻いても一つの社会に両立できないスタンスもあるけど、未来世界のあり方を考えることを諦めるのはまだ早い ①「時間に解決してもらって一つの立場に収斂されることを期待するのか」「互いに譲歩・容認しあって共時的に地球上で棲み分けて争うことなく別々のままやっていくことは可能なのか」という考察 ②そういう譲れないスタンスはさて置き、「不条理な暴力や紛争がないこと」「飢餓がないこと」「自由や平等」というなるべく全員同意してくれそうな幸福観が実現したボンヤリした世界をとりあえず想定してみること は可能だし、いつの世界も「それまでの擦り合わせの結果」であり、不満や論者の多寡が今を決めてきたから…とにかく共同でこれからの擦り合わせをシミュレートすることはやってみる価値があるかと思うんだけど
資本主義者と共産主義者が一つの社会を共同で構想することや、動物倫理を推進する立場と文化としての狩猟を尊ぶ立場がどう足掻いても歩み寄れないであろうことは即座に想像がつく
地上の全人類の営みとしてどちらかが存続することを容認できないスタンス的な対立が少なからず存在することは、当然無視できない問題である
そのような対立により世界観が決裂しないために、対立の解消を目的とせずに可能な議論の筋道を通時的見通しと共時的見通しとして提示してみたい
通時的見通し
スタンスの対立を、人間や環境の長期的変化を考慮しつつ次の2つの可能なシナリオについて考察するものである
・議論の決着または戦争による淘汰の結果、1つの立場に収斂されることを期待するのか
・相互に落とし所を見つけて、安定的に両立し続けることは可能なのか
共時的見通し
現時点で歩み寄り両立することができないスタンスの対立を傍に置いて、文化的構造的な背景を極力排した全人類にとって幸福な社会を議論するもの
これは幸福論はもちろんのこと、社会的な諸学に加えてこれまで宗教的に提示された天国/楽園/ユートピア観をも考慮した最も抽象的な社会の青写真を構想する試みである
理想の多様性
〈セルフ要約〉 グローバリズムの是非とか散々議論されてるんだけど、とにかく ◯現状蓄積されてきた人間の叡智に基づいて現実的にどうなってくのがイイのか具体的に考えるボトムアップ的なアプローチ と ◯天国とかユートピアとか人間にとっての真の幸福とか、そういう形而上学的超越的な世界観を憧憬して転がってく社会について考えるトップダウン的なアプローチ が出会う未来はどんな姿してんだろうって考えてみないと、どこに行くのかよくわからないままだよ
これまで書いてきたものは、グローバリズムの驀進する地球上全人類への考察である
人類は多様な伝統や文化を持つため、その全体が均質なユートピアの様相を呈する未来は考え難く、またそれが望ましいのかどうかはわからない
共時的・空間的な社会同士の関係性が保持されていく地上で、どう干渉し、またはどう干渉せずに関わり合うあり方が適切なのかの議論が重要であり、それは未来を見据えた今日の外交に関わる考察となるのである
まさしく現実と関係の薄い「夢物語」として真剣に検討する価値を見出されないかもしれないが、この時間が今日も止まることがない限りX世紀後の社会はやってくるし、また、この極端に巨視的な理想論こそがX世紀後の世界を存在させるために必要な考察となる可能性もあると考える
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